
死ぬとき後悔に苛まれたくないなら、険しい道でも「やりたいこと」に挑戦するしかない
2018/08/10「充実した、幸福な人生だった」と思いながら死にたいものだなあ、と20代半ばにして考えています。まあ、あんまり「将来、私は必ず死んでしまう」ことの実感はありませんが、それでも事実です。いやですが避けることもできません。
私はずっと「ストレスなく、穏やかで快適な暮らしが過ごせればそれでいい。大きなことを成し遂げたり、挑戦する必要なんてない」と、そう考えていました。「いかにすれば、のんびりと心穏やかに生きていけるか」を考えていたのです。
いまでもその考えを捨ててはいませんが、もしかすると改めたほうがいいのかもしれません。
「あのときは大変だったけど、よい経験だった」と思えるほうが、脳はより幸福を感じる
書籍「図解 モチベーション大百科」の中で、「ファスト&スロー」を書いたことで有名な行動経済学者ダニエル・カーネマンの実験が紹介されています。
- 被験者たちに数週間に渡って不定期に連絡をとり、そのときの「幸福感」をたずねた。
- 幸福感には2つのタイプがあった
– 経験の自己:いまを楽しむことによって得られる幸福感(旅行など)
– 記憶の自己:苦しいことを経験しながら、振り返ると「やってよかった」と感じられる、満足感がもたらす幸福感 - 振り返ったとき、継続的に幸福を感じられるのは「記憶の自己」だった。
つまり、こういうこと。
穏やかに快適に暮らす幸せもある。
けど、あとで振り返ったときに「あのときは大変だったけど、よい経験だった」と思えるほうが、脳はより幸福を感じる。via 図解 モチベーション大百科 P 118
幸福感に包まれて死にたいなら、大変なことへ挑戦してみたほうがよいらしいのです。なんてことだ。幸せの対価はストレスを感じることだというのか。
いや、もちろん「よい経験だった」と思えるのは、ポジティブな苦労でしょうから、ただ辛いだけの苦労なんてする必要はないはずです。やりたいことがあるなら、それが茨の道だったとしても挑んでみる価値はある、ということでしょう。
「人生でやりたいと思ったことは、いつになってもあなたの心を去ることはない」

最近、ライフハッカーでも似たような記事を目にしました。そこにはこう書かれていたんです。
人が最も後悔し苦しむのは、義務や責任に関してではない
(中略)
人は、長期的に見たときに、したことよりも、しなかったことに対してより大きな後悔を感じています。
(中略)
夢のためなら義務や責任を放棄してよいと言っているわけではありません。ただ、人生でやりたいと思ったことは、いつになってもあなたの心を去ることはないと言っているのです。
つまり、死ぬときに後悔に苛まれたくないなら「やりたい!」と思ったことは、どんな形であれやっておいたほうがいい、ということです。
多少、大変だったとしても、死ぬときに後悔するよりはマシな気がします。だってもう、どうしてみようもない。取り返しがつかない。
挑戦して失敗したり、苦労したとしても、まだ生きているなら、形はどうあれ再挑戦できる。死ぬときに「いい人生だった」と言えるチャンスはまだあります。
つまり
先人の教えに素直になるなら、「やりたいこと」があるなら、それが苦労するとわかっていたとしても、やってみるべき、ということのようです。
腰は重いですが、「案ずるより産むが易し」という言葉があるように、試してみたら案外なんてことはなかった、ということもあるかもしれません。私はすでに挑戦を決めました。
どうするかはあなたの自由です。
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